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神戸地方裁判所姫路支部 平成3年(ワ)605号 判決

主文

一  被告は、

1  原告堂本富美子に対し、金一九五九万三三五五円及び内金一七八一万三三五五円に対する平成三年一二月一九日から、内金一七八万円に対する平成七年七月三一日から各支払済みまで年五分の割合による金員を

2  原告堂本晃代及び同大谷教代に対し、各金九二四万六六七七円及び内金八四〇万六六七七円に対する平成三年一二月一九日から、内金八四万円に対する平成七年七月三一日から各支払済みまで各年五分の割合による金員を

それぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用は、これを七分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決は、原告ら勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、

(一) 原告堂本富美子に対し、金二二五〇万六七七五円及び内金二〇四六万〇七〇五円については平成二年九月一二日から、内金二〇四万六〇七〇円については判決言渡しの日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員

(二) 原告堂本晃代及び同大谷教代に対し、各金一一二五万三三八七円及び内金一〇二三万〇三五二円については平成二年九月一二日から、内金一〇二万三〇三五円については判決言渡しの日からそれぞれ支払済みまで年五分の割合による金員

を各支払え。

2  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者について

(一) 被告は、昭和六二年四月二四日に設立された資本金四億八〇〇〇万円、造船造機付帯工事及び解撤の請負等を目的とする株式会社であり、兵庫県相生市相生字鷲ケ巣五三〇八番地に船舶部品・機械部品等の鋼材に亜鉛メッキを施す亜鉛メッキ工場(以下「相生工場」という。)を有している。

(二) 訴外堂本安博(以下「安博」という。)は、昭和三六年六月二六日被告の前身である兵庫実業株式会社に入社し、昭和五三年一二月から相生工場においてメッキ作業等に従事し、平成元年一二月三一日付けで定年退職したが、平成二年一月一日付けで一年契約の特別従業員として再雇用され、同年九月一一日に死亡するまでの間、被告従業員として相生工場にて勤務していた。

2  本件交通事故について

(一) 本件交通事故の発生

平成二年六月四日午後七時一〇分ころ(以下、平成二年については年の表示を省略する。)、帰宅のため相生工場敷地内を原動機付自転車を運転して走行していた安博が、被告従業員花井安夫(以下「花井」という。)運転にかかるフォークリフト(以下「本件フォークリフト」という。)の積荷のエキスパン床板の先端に顔面を衝突させて負傷する事故(以下「本件交通事故」という。)が発生した。

(二) 被告の責任

(1) 本件フォークリフトは、被告が保有し、自己のために運行の用に供していた自動車であった。

(2) 本件交通事故は、花井が、突然本件フォークリフトを稼働させたため、これに安博が接触して生じたものであるから、花井には、本件フォークリフトの運転につき過失が存在する。

(三) 被害内容等

右事故により、安博は、骨に達する顔面挫創、左頬骨鼻骨開放性骨折、左眼窩内開放性骨折等の傷害を負い、右同日、半田外科病院に入院し、六月一九日顔面多発骨折観血等の手術を受け、次いで、術後肺炎を起こすなどにより一時重篤な症状に陥ったが、その後回復し、七月五日に同病院を退院し、その後、七月六日から九月一〇日までの間、同病院に通院した。

3  本件死亡事故について

(一) 安博の死亡

安博は、七月一八日まで自宅療養をしていたが、翌一九日から半田外科病院に通院しながら復職し、相生工場においてメッキ業務に従事するようになったところ、九月一〇日に、午前八時から午後五時までの通常勤務と二時間の残業を終えた後、午後七時から宿直業務に就いたが、宿直業務に従事中の九月一一日午前三時ころ、相生工場内宿直室において就寝中急性心不全により死亡した(以下「本件死亡事故」という。)。

(二) 安博の退院の経緯及び復職時の健康状態について

安博の本件交通事故による傷害については、七月五日の退院まで相当程度回復していたものの、右段階では、同人には開口障害、左顔面創痺れという後遺症が残っていた。開口障害の程度については、退院時においても全粥を摂取しており、食事が制限され固形物は食べられない状態であったし、七月一〇日の段階でも開口の程度は一センチであった。

また、安博は、入院中に肺炎を併発し、六月二〇日から同月二九日までの間その治療を受けている。

安博が七月五日に退院したのは、担当医師から「労働災害の治療であるから、長期の療養は受けられない。」と言われたことによるものであり、同時点では、安博の体力は著しく減退している状態であった。右のとおり、安博は、まだ傷病が完治せず、体調も十分でない状態で退院したものであっって、退院時に予想された療養期間も一か月であった。

しかしながら、安博は、かって被告の従業員である同僚が交通事故により休職した際、工場長から「早く出勤するよう」要請されたことを知っており、又、長期休養することによる被告への遠慮と同僚への配慮から無理を押して出勤することにしたものである。

しかも、安博は、工場長からの要請で七月一八日から出勤しようとしたところ、体調がすぐれなかったことから同日は有給休暇をとって翌七月一九日から出勤している。

したがって、退院の二週間後に以下のような作業に復帰できるような健康状態でないことは明らかであった。

(三) 相生工場の勤務体制について

(1) 平成二年当時、相生工場の所定労働時間は、午前八時から午後五時までと定められていた。そして、この間の休憩時間は、グループにより午前一一時三〇分から午後〇時三〇分までと午後〇時三〇分から午後一時三〇分までのいずれか一時間が定められていたほか、グループに関係なく午前一〇時から同一〇時五分までと午後三時から同三時五分までの各五分が定められていた。

(2) 相生工場では、午後五時以降に残業勤務が行われていたほか、残業とは別に宿直勤務が行われていた。

また、休日については、土曜日及び日曜日を休日とする週休二日制を採用していたが、右休日についても日直勤務の割当があり、日直勤務についた場合には、引き続き当日夜の宿直勤務に従事することとなっていた。

(四) 復職後の安博の作業内容について

(1) 復職後の安博の担当作業について

相生工場におけるメッキ業務は、段取作業、メッキ作業及び仕上げ作業(出荷作業も含む)の三工程に分かれていたが、安博は、復職後も仕上げ班に属して仕上げ作業と出荷作業を担当しており、その業務内容は、本件交通事故前と変わらないものであった。

被告が、安博の復職後に作業内容を変えて同人の作業量の軽減を配慮した事実はない。仮に変更したとしても、その作業内容に差はなく、軽作業に転換したことにはならない。

また、仕上げ作業に携わる作業員八名に対し、次々とメッキ処理された製品が送られてくる仕上げ作業の現場で、安博一人が疲れたからといって休息できる状況にはなかった。

(2) 安博の具体的作業内容について

ア メッキする鋼材は、大きいもので一トン余り、小さいもので五〇〇グラムと大小様々なものがあるが、安博の担当現場は、いずれも手作業が中心となり、機械化されているのは、鋼材を移動させるためのホイストのみであった。

イ 仕上げ作業は、中腰で歩きながら一日四〇トン余りの鋼材を肉眼で点検し、メッキむらを発見した場合は、中腰のままで手作業でサンダーをかけ、サンダーをかけた部分にローバル(塗装メッキ)を施すという全く機械化されていない作業である。

また、点検のために鋼材を引っくり返す場合は、ホイストを使用するよりも手で行ったほうが早いため、かなり重い鋼材であっても人力で鋼材を持ち上げて裏返していた。

ウ 製品の移動等ついては、三〇キログラム相当までの鋼材は、作業員の人力によって移動等をするように定められていたし、また五〇ないし六〇キログラムの重量の鋼材についても、作業員が二人掛かりで移動等をさせられていた。

エ 出荷作業は、仕上げ作業が終了した鋼材を、人力で持ち上げられるものは作業員が手で、人力で持ち上げられないものはホイストを利用して、台車に積み込み、仕上げ作業の場所からトラックへ積み込む場所まで運搬し、トラックに積み込む作業である。

オ 右のとおり、安博の担当していた作業は、中腰になって歩いたり、しゃがんだり、しゃがんだ状態で上を見上げたりというように、不自然な姿勢での作業であって、健康な者でも腰、足及び膝に負担がかかる肉体労働であり、また重量物を人力で持ち上げたり、運搬したりするように、かなり筋力を使う労働として、肉体的にも大変疲れる作業であった。

(五) 安博の時間外労働勤務について

(1) 安博の時間外労働勤務について

ア 復職後の時間外労働の開始時期について

安博は、復職後、通常勤務以外に、七月二一日の土曜日から土曜日出勤を、同月二三日から残業勤務を、同月三〇日からは宿直勤務を開始した。

イ 休日出勤、日直及び宿直について

相生工場においては、ほとんどの土曜日は休日出勤となっており、安博は、復職後死亡するまでの間、七月二一日の土曜日を含め、八回ある土曜日のうち五回出勤しており、また、日直も同僚と同様に割り当てられ、四回行っている。

この結果、安博は、死亡前の八月二三日から九月一日までは連続して勤務に就いており、この間、土曜日の出勤二回、日曜日の日直一回を経験している。

また、死亡三日前の九月八日の土曜日も休日出勤している。

ウ 残業について

平成二年当時、相生工場においては、午後五時以降常に二時間の残業をさせられていたし、休日である土曜日も平日同様の残業が課せられていた。

(2) 安博の時間外労働勤務の具体的内容について

ア 宿直業務及び日直業務について

宿直業務では、亜鉛メッキ槽の温度管理、燃焼バーナーの消火・点火等の定型的な作業のほか、翌日の作業がスムーズに開始されるように、やり残されたメッキ作業の一部を行ったり、翌日の段取り作業を行わなければならず、また、鋼材が始業前に搬入されたり、作業時間後に搬入された場合には、鋼材の荷下ろし作業という肉体労働が含まれていた。

更に、日直業務では、右宿直業務に加えて、段取作業のうち鋼材をセットする作業が追加されることがあり、右段取作業がない場合の日直勤務の実作業時間は約五時間であるが、段取作業が加わった場合の日直勤務の実作業時間は約六時間に及んでいた。

右宿直及び日直業務は、いずれも二名の従業員によって行われる内容である。

そして、宿直及び日直業務の翌日も、明け日として休日となるのではなく、通常の勤務につくこととなる。したがって、宿直及び日直の場合には、前日の午前八時から翌日の午後五時まで連続して四一時間拘束されることとなる。

イ 酸化タタキ作業について

① 九月一日の土曜日には、休日出勤に加えて、午後五時以降残業として酸化タタキ作業が実施され、安博はこの業務にも就いていた。

相生工場において行われる酸化タタキ作業とは、亜鉛メッキ作業時に亜鉛メッキ槽内の表面に浮いた酸化亜鉛を網ですくって缶にためておき、土曜日の午後五時以降、右酸化亜鉛を亜鉛メッキ槽内の溶融亜鉛の上にばらまき、酸化亜鉛タタキ治具をホイストクレーン(以下「クレーン」という。)でつり上げ、クレーンを操作して治具を上下させて酸化亜鉛をたたいて衝撃を与え純粋亜鉛を溶かしだし、表面に浮いた酸化亜鉛をクレーンで吊った治具によりすくい取って所定の缶に入れる作業であり、右作業には約三時間を要する。

② 酸化タタキ作業において、クレーンによって酸化亜鉛タタキ治具や酸化亜鉛をすくう治具を吊り上げて操作できるのは、亜鉛メッキ槽の面積の八分の七までの範囲にとどまり、残りの八分の一は手作業で行われる。

また、クレーンにて右治具を操作する場合でも、治具を作業員が支えて作動させる必要があるが、この従業員は、四七〇度に熱せられた溶融亜鉛槽のすぐ横にて作業するのであるから、その暑さは筆舌に尽くしがたく、また、酸化亜鉛をすくう治具により酸化亜鉛をすくい上げる際には、四七〇度に熱せられた溶融亜鉛が火の粉のように飛び散り落ち、更に、酸化亜鉛を缶に移す際には、白濁した煙が発生し、この灰の熱で作業員は全身汗だくの状態になる。

九月一日は、日中の最高気温が三三度あったところ、安博は、このような高温の中で、更に高温の溶融亜鉛槽の周囲で作業していたこととなる。

(六) 相生工場の作業環境等について

相生工場は、南北に長い建物であって、扉で閉鎖された建物ではないが、空調設備がなく、工場入口(南側)から吹き込んだ風が、摂氏四五〇度に熱せられた亜鉛メッキ槽を通過し、その熱風が仕上げ作業現場にもたらされるため、仕上げ作業現場は、亜鉛メッキ槽に次いで高温な作業現場であり、天井に設置されていた可搬式扇風機は、真夏の作業現場には何の役にも立っていなかった。

右のとおり、相生工場内の作業環境は、暑気対策が全く不十分なものであった。

加えて、平成二年の夏は、例年にない高温が続いた年であり、安博が復職した七月一九日から死亡前日の九月一〇日までの間の最高気温の平均値は三〇度を越えていることから、仕上げ作業現場は優に三〇度を越える状況であった。

(七) 相生工場における過密労働について

(1) 作業内容における過密性について

安博が死亡した当時は、好況期で鋼材のメッキの受注量も伸びており、一日当たり約四〇トンのメッキ処理との目標を達成する日もあるなど、当時は繁忙期であった。そのため、相生工場でも、夏休みも例年のように七月末に取ることはできず、八月中旬に振り替えて取っていた。

したがって、右期間に作業に従事した安博を含む相生工場の作業員は、作業に追われ、過密な作業を行っていた。

更に、平成元年一〇月当時は、恒常的に三時間残業しなければならない勤務状況であったところ、従業員から残業時間の長さについて不満が出たため、安博死亡当時は、昼休みを二班に分け昼休み中も続けて作業を行うことで残業を二時間までとし、増加した受注量をさばこうとしていた。

右の結果、安博の死亡当時の労働作業は、以前にも増して過密であったと言える。

(2) 労働時間からみる過密性について

安博の時間外労働時間は、七月二三日から夏期休暇前の八月一〇日までの一六日間が休日及び宿直勤務を含めて合計三三時間三〇分であるのに対し、死亡直前の八月二三日から九月八日までの一六日間が休日及び宿直勤務を含めて合計五七時間であり、安博は、死亡直前に至ってより長時間の労働に従事させられていた。又、本件交通事故前である五月一〇日から六月四日までの一六日間の休日及び宿直勤務を含む安博の時間外労働時間の合計が五四時間であることに照らしても、死亡直前において、安博は、健康時と同様の時間外労働を行っていたこととなる。

また、安博は、八月二三日から九月一日までの間連続して勤務したところ、その間に残業がなかった日は一日だけであり、右九月一日の土曜日出勤の際も、酸化タタキ作業のために残業を行っている。

更に、安博は、九月五日、あまりの疲労に有給休暇を請求したが、これを取ることができなかった。

(八) 死亡前における安博の生活状況について

安博は、前記のとおり、八月二三日から九月一日までの間、相生工場において連続勤務を行ったが、その間、八月二七日には退院時に治まっていた複視の自覚症状が再発している。これは、疲労の蓄積によるものと考えられる。

そして、九月一日の酸化タタキ作業のための残業を終えて帰宅した安博は、孫と遊ぶことさえ億劫になる程疲労困憊していたし、翌二日の日曜日には、しんどいと言って一日中横になっていた。更に、疲労が回復せず、九月三日以降も夜は死んだようにぐったりとなって睡眠を取り、時々うわ言を言い、朝も起こされてもなかなか起きれなくなっていた。

また九月五日には、余りの疲労のため有給休暇を請求したが、取ることができず、無理を押して就労を続けた。

かように、安博は疲労困憊により、体調が極端に悪い状態に至っていたにもかかわらず、その後も連日残業を重ねていた。

(九) 安博の死亡と業務との因果関係について

(1) 安博の死亡原因は、急性心不全とされているが、心不全自体は病名ではなく、心臓が全身に必要なだけの血液を送りだせなくなった状態を意味するものである。すなわち、収縮力減退等、心臓のポンプ作用に障害があって、血管系を経て全身の臓器組織への必要な量の血液循環を保てなくなった状態を言う。ところが、安博については、死体解剖がなされていないので、心不全の原因疾患を具体的に特定することは困難である。

しかしながら、心不全の原因疾患が立証されない場合であっても、直ちに業務と死亡との間の相当因果関係が否定されるべきものではなく、業務に起因する精神的、肉体的負担がそれ自体で又は他の基礎疾患等と共働して、心不全の有力な原因として作用したと認定される場合には、相当因果関係も肯定されるべきである。

したがって、安博が従事した業務が、同人に急性心不全を発症させるに充分な程度に量的、質的に過重な業務であった場合には、原因疾患を特定できないとしても、業務との間の因果関係は肯定されることとなる。

(2) 業務の過重性の判断基準について

業務が過重か否かの判断は、被災者が有していた個別の事情を判断資料としてなすべきであり、一般通常人を基準とすべきではない。すなわち、基礎疾病を有する者や老齢者にとって過重な業務である場合には、一般人にとって過重な業務と認められない場合であっても、業務起因性を肯定すべきである。

したがって、本件でも、当時退院して間もなく、しかも充分な食事をできない状態で他の同僚と同様な作業に従事したというのは安博の個別事情を前提として、同人の従事した作業が同人にとって過重であったか否かを判断すべきである。

(3) 前記(二)のとおり、復職時における安博の健康状態は、長期間の入院生活に加えて、入院期間中肺炎に罹患したこと、更には、本件交通事故の後遺症による開口制限によって充分に食事が取れないなどの理由から、直ちに通常の勤務に耐えられる状態にはなかった。

しかるに、前記(四)ないし(七)のとおり、安博は、例年になく猛暑が続いた平成二年の夏期に、劣悪ともいえる作業環境の中で、安博にとって質的にも量的にも過重な作業を強いられていた上、猛暑による疲労回復の遅れも影響して、体力を次第に消耗する状態にありながら、適切に休暇を取ることができなかったものであり、結果的に同人の循環器に負担がかかり、九月一〇日の宿直勤務中に同人に心疾患が発症したものである。

(4) 安博は、本件交通事故によって入院するまではいたって健康体であり、心疾病を発症させるような基礎疾病を有していなかった。右は、入院中の諸検査や定期健康診断の結果を見ても明らかであり、特に肥満でもない。

また、安博の親族には循環器系の疾患を有する者はおらず、遺伝的要因も考えられない。

喫煙も一日一〇本程度であり、しかもその本数も減ってきており、飲酒も日本酒を一、二合晩酌する程度で問題はない。

九月一〇日に飲酒した量も不明であり、飲酒が直接心疾患の危険因子となることはないから、当夜の飲酒も問題とならない。

右の点からも、安博には過重な業務以外に心不全の原因は考えられない。

(一〇) 被告の安全配慮義務違反について

(1) 使用者である被告は、一般的にその雇用する労働者を現場作業・残業・深夜労働等に従事させる場合には、予め当該労働者の労働時間や労働環境等の労働条件に配慮し、当該労働者の生命、身体及び健康が害されることのないよう保護する労働契約上の義務(安全配慮義務)を負う。

そして、この安全配慮義務の具体的内容は、当該労働者の当時服していた労務の内容、労働環境及び当該労働者の身体状況などの事情によって定まる。

(2) 被告は、安博の復職時の前記健康状態を考慮すれば、同人をメッキ作業に就労させるにあたっては、十分な療養期間をおき同人の体力が回復したことを確認した上で、かつ、安博の五九歳という年齢や入院による体力の減退等を考慮して、主治医及び産業医の意見を聞き、まず就業場所を変更して軽作業労働に従事させ、徐々に中程度の労働から本件交通事故前の労働へと時間をかけて段階的に労働の質、内容を元の状況に戻すように配慮し、あるいは、労働時間を短縮し、又は残業や休日労働等の時間外労働は体力が回復するまで中止し、本件交通事故以前より多くの休憩時間等を確保し、かなり筋力を使うことにより体力を消耗させるような労務には服させない配慮を行うなどの、就労制限、就業指導等の適切な措置を講ずる義務があった。

(3) また、労働安全衛生法によれば、有害な業務を行う屋内作業場では、必要な作業環境測定を行い、その結果を記録し(同法六五条一項)、その結果の評価に基づき必要があると認めるときには、施設又は設備の設置又は整備、健康診断の実施その他適切な措置を講ずる義務が事業者に課せられている(同法六五条の二第一項)ところ、労働安全衛生法施行令及び労働安全衛生規則によるとき、メッキ業務を行う屋内作業場は右作業場に該当することから(同法施行令二一条二号、同規則五八七条一四号)、事業者である被告は、半月以内ごとに一回、定期に屋内作業場における気温、湿度を測定し(労働安全衛生規則六〇七条一項)、また、有害のおそれのあるものについては適当な温度湿度調節の措置を講じなければならない義務を負っていた(同規則六〇六条)。

更に、安博のような多量の高熱物体を取り扱う業務及び著しい暑熱な場所における業務については、六か月以内ごとの定期健康診断を実施する必要があり(同規則四五条一項、一三条二号イ)、右健康診断の結果、労働者の健康を保持するために必要な場合には、就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等その他の適切な措置を講ずる義務も有していた(同法六六条七項)。

(4) しかるに、被告は、退院の二週間後という、一か月に及ぶ長期入院後の体力回復期間としては甚だ短い療養期間を与えたのみで安博を復職させた上、復職に際しても、主治医に安博を就労させることの是非やその程度等につき何ら相談をしていないし、産業医にも何ら相談もしていない。

加えて、安博は、復職当日から八時間労働に従事し、復職三日目の七月二一日の土曜日には休日出勤し、五日目の同月二三日からは一、二時間の残業まで開始している。

また、その就業内容は、本件交通事故以前の内容を軽減したりするものではなく、健康な労働者と同一の長時間労働、高密度な労働であった。

また、平成二年八月、九月が気象台観測史上稀にみる異常な猛暑の連続であったにもかかわらず、被告は、作業環境を改善すべき措置を何ら講ぜず、安博を本件交通事故以前よりも高温多湿な有害な作業環境下で作業に従事させていたし、前記規則どおり健康診断を実施せず、かつ、右健康診断の結果及び業務の実態に鑑み、安博の就業場所の変更、作業の転換、労働時間の短縮等その他の適切な措置を講じることも行っていなかった。

このように、被告は、労働安全衛生法の定める最低基準すら実施していなかったばかりでなく、死亡直前には、異常な猛暑が続いたにもかかわらず、作業環境の改善を図る何らの措置を講じないまま、安博に八月二三日から九月一日まで連続一〇日間就労させ、九月一日には酸化タタキ作業により三時間の残業に従事させた。これが、安博をますます疲労困憊の状態に陥れ、いつ脳心疾患が発症してもおかしくない状態に至らしめたのである。

(5) 右のとおり、被告は、安博の復職以降、労働内容及び作業環境につき、その果たすべき安全配慮義務に基づき行うべき行為は全くなしてこなかったものである。

(二) 結論

以上のとおり、安博の死亡は、被告の安全配慮義務違反の行為の結果もたらされたものであるから、被告は、債務不履行に基づき、安博の被った損害を賠償すべき責任がある。

4  損害について

(一) 本件交通事故につき

(1) 療養費 一〇三万七七三二円

安博の本件交通事故による半田外科病院への入院(入院期間六月四日から七月五日)及び通院(通院期間七月六日から九月一〇日)により要した治療費の合計金額

(2) 休業損害 四三万七五五二円

(3) 入通院及び後遺症慰謝料

二六〇万〇〇〇〇円

(二) 本件死亡事故につき

(1) 安博の死亡による逸失利益

一三六二万六七一〇円

安博は、死亡当時満五九歳の男性であったから、満六七歳まで八年間就労し、一年間に少なくとも昭和六二年度賃金センサス産業計全労働者の平均収入額である四一三万六二〇〇円の収入を得ることができたはずであり、安博の生活費は右収入の五〇パーセントである。そこで、新ホフマン方式によりその間の中間利息を控除して安博の逸失利益の死亡当時における原価を算出すれば、一三六二万六七一〇円となる。

(2) 安博の慰謝料

二五〇〇万〇〇〇〇円

安博は、被告に勤続二九年という長期間勤務した健康な労働者であったが、本件交通事故が原因となり体力を衰退させられ、その上苛酷な業務に従事させられた結果、本件死亡に至ったものであるところ、右事実により安博の受けた精神的損害に対する慰謝料は二五〇〇万円が相当である。

(3) 葬儀費用 一〇〇万〇〇〇〇円

(三) 損害の填補

安博は、本件交通事故に関し、次のとおり損害の填補を受けた。

(1) 治療費(労災保険給付)

一〇三万七七三二円

(2) 休業損害(自賠責保険)

四三万七五五二円

(3) 後遺症慰謝料等(右同)

一三〇万五三〇〇円

(四) 残損害額について

右(一)及び(二)の損害から右(三)の填補分を控除すると、残損害額の合計は四〇九二万一四一〇円となる。

5  相続関係について

原告堂本富美子(以下「原告富美子」という。)は、安博の妻であり、原告堂本晃代(以下「原告晃代」という。)及び同大谷教代(以下「原告教代」という。)は、安博の子であるところ、安博の死亡に伴う相続により、法定相続分にしたがい安博の権利義務を承継取得した。

6  弁護士費用

四〇九万二一四一円

原告らは、本件訴訟追行を弁護士に委任し、請求金額の一〇パーセントを報酬として支払う旨約した。

7  よって、被告に対し、本件交通事故については不法行為又は自賠法三条、本件死亡事故については債務不履行に基づく各損害賠償請求として、原告富美子は、二二五〇万六七七五円及び内金二〇四六万〇七〇五円については安博の死亡した日の翌日である平成二年九月一二日から、内金二〇四万六〇七〇円については判決言渡しの日からそれぞれ支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、原告堂本晃代及び同大谷教代は、各金一一二五万三三八七円及び内金一〇二三万〇三五二円については安博の死亡した日の翌日である平成二年九月一二日から、内金一〇二万三〇三五円については判決言渡しの日からそれぞれ支払済みまでそれぞれ民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の反論

1  請求原因1の事実は認める。

2(一)  請求原因2(一)及び同(二)(1)の事実は認める。

(二)  請求原因2(二)(2)の事実は否認する。

本件交通事故は、安博が、停止していた本件フォークリフトと停止中のトラックとの約1.5メートルないし二メートルの間を通り抜けようとしたとき、本件フォークリフトの積み荷のエキスパン床板に気づかず、右積み荷の角に顔面を衝突させたものである。

すなわち、花井が、トラックの荷台と積み荷の床板との間に本件フォークリフトの爪を差し込み、積み荷の床板を爪で持ち上げ、後方確認しながら後進しつつ九〇度左方に旋回し、ハンドルを切り戻し一旦停止し、前進させる前に本件フォークリフトの爪を下げようとしたときに安博が衝突したものである。

したがって、本件交通事故は、もっぱら安博の前方不注視により生じたものであり、花井には、本件交通事故に関して過失は存在せず、被告につき民法七一五条及び自賠法三条に基づく損害賠償責任は発生しない。

(三)  請求原因2(三)の事実のうち、安博の入院の事実及び手術内容は認めるが、同人の受傷内容は知らない。

なお、安博の具体的な通院日は、七月六日、九日、一〇日、二〇日、八月一四日、二七日及び二八日である。

3(一)  請求原因3(一)の事実(安博の死亡)は認める。

(二)(1)  請求原因3(二)の事実のうち、安博が退院後も食物がかみづらいと訴えていたこと、本件交通事故前に比べ退院後は同人の体力が多少は減退していたこと及び同人が七月一九日から出動したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(2) 安博は、六月四日に半田外科病院に入院後、術後経過が順調で、医師の許可に基づき七月五日退院しているが、これは原告富美子の強い申し出があったためである。

安博は、六月三〇日ころには、病院にいても家にいても同じなので退院させてくれと半田外科病院の医師に頼んでいたことをみても、順調に回復していたものと考えられる。

原告富美子がそのような態度を取った理由は、同病院への不満によるものであって、被告や同僚が退院を急がせたり、労災扱いであることが原因で長期間休めなかったことが原因ではない。

(3) また。退院後の復職時期も、病院や被告が急がせたものではなく、出勤可能との安博自身の判断でなされたものである。現に、安博が退院した七月五日、同人から、相生工場の横田憲幸工場長(以下「横田」という。)に対し、退院して家で休養し、徐々に体調を元に戻して出する旨の連絡があり、七月一八日には、安博から横田に対し、翌一九日から出勤する旨の連絡がなされている。

なお、七月一六日から一八日まで有給休暇扱いとなっているのは、医師の診断書が七月一五日までしか要療養となっていなかったためであり、仮に退院後一か月程度療養を要するとの診断書の提出がなされていれば、被告も当然公傷扱いにしていた。

(4) また、七月一八日に、安博から横田に対して出勤の連絡が行われた際、横田が体調を尋ねたところ、安博からは、視野が狭くなったこと、視力が少し落ちたこと及び歯の噛み合わせが良くないとの訴えはあったものの、体調については「ぼちぼちや」と順調に回復しているとの返答であった。更に、安博は、復帰後も会社が補助金を一部支給する弁当を毎日の昼食に取っているが、右事実からすれば、同人に開口障害が残っているとしても、通常の食事があまり取れなかったという事実は存在していないはずである。仮に、復職後に自宅から弁当を持っていっているとすれば、前記弁当以外に持参の弁当を食べていたこととなり、極めて食欲は旺盛であったこととなる。

(三)  請求原因3(三)の事実(相生工場の勤務体制)は認める。

なお、昼休みが二交替制となっている点については、半数の従業員でメッキ作業の全工程を行うわけではなく、メッキ班の洗い作業及びメッキ作業並びに仕上げ班の仕上げ作業のみを行っていたものであって、通常における人員分は確保されていた。

(四)(1)  請求原因3(四)の事実のうち、相生工場におけるメッキ業務が、段取作業、メッキ作業及び仕上げ作業(出荷作業も含む)の三工程に分かれていたことは認めるが、その余の事実は否認ないし争う。

(2) 相生工場では、約二五名の従業員が、一日四〇トン程度の鋼材にメッキ加工するが、その作業内容は、順に段取作業、メッキ作業及び仕上げ作業の工程に分かれている。

安博の属していた仕上げ班には、平成二年当時一一名が配置されていたが、同班の作業内容は次のとおりであった。

① 冷却水槽の濃度管理及び槽清掃

② 白錆防止液槽の濃度及び透明度管理ならびに槽清掃

③ クレーンによる製品の冷却水槽から引き上げ

④ クレーンにより製品を白錆防止液槽に漬ける

⑤ クレーンにより製品を仕上場へ移動する

⑥ 仕上場に移動された製品のワイヤーや番線外し作業

⑦ 製品の垂れの処理、不メッキ部分の手直し作業等

⑧ 製品の品質管理、工程消込、客先及び数量確認

⑨ 製品の梱包作業

⑩ 製品置場への移動

⑪ メッキ製品の製品置場での保管、場所管理

⑫ メッキ製品の製品置場から南北製品置場での出荷積み込み作業

人員については、①ないし⑤作業に二人、⑥ないし⑨作業に八人、⑩ないし⑫作業に一人が各配置されていた。

安博は、本件交通事故以前は、右作業のうち、⑩ないし⑫の出荷作業に班長と二名で従事していたが、復帰後は⑥ないし⑨の仕上げ作業に従事していた。

(3) メッキ作業は、製品が亜鉛メッキ槽で一分ないし一分三〇秒浸漬されたのち、冷却水槽、白錆防止液槽の順に浸漬され、その間製品はクレーンで移動及び上げ下げされるので、安博が交通事故後に担当していた仕上げ班には次々と製品が搬入されることはない。

また、メッキ作業中、製品の移動、浸漬等については、三〇キログラム以上の重量物についてはクレーン又は台車を使用して行うことにより機械化されていた。

(4) したがって、本件交通事故後の安博の作業内容は、決して過密労働でも肉体的に苛酷なものでもなかった。

(五)(1)  請求原因3(五)(1)のうち、アの事実及び、安博が七月二一日と九月一日の土曜日に勤務し、九月一日は午後八時まで残業して酸化タタキ作業を行ったことは認め、その余の事実は争う。

土曜日出勤は、従業員の三分の二が希望した場合に実施していたものであり、その場合においても出勤を強制したことはない。

なお、宿直勤務の時は、実作業がない場合でもほとんど一回につき二時間の時間外手当が支給されていたほか、土曜日の午前八時から午後五時までの土曜出勤が行われた場合と、日直業務については実作業の有無にかかわらず、各八時間分の時間外手当が支給されていた。

(2)ア 請求原因3(五)(2)アのうち、宿直業務の内容として、亜鉛メッキ槽の温度管理、燃焼バーナーの消火・点火及び作業時間外に搬入された鋼材の荷下ろし作業が含まれていることは認め、その余の事実は争う。

① 宿直業務については以下のとおりであった。

相生工場では、亜鉛メッキ槽の温度管理並びに亜鉛メッキ槽、苛性ソーダ槽、フラックス槽等の防火、盗難防止、守衛業務及び緊急事態発生時の対応・関係者への連絡業務等の必要性から宿直業務があり、安博死亡当時は、従業員には一〇日から一一日に一回の割合で宿直が割り当てられていた。

宿直当日の業務の内容は、作業終了時に苛性ソーダ槽及びフラックス槽の燃焼バーナーの消火確認、亜鉛メッキ槽の両側バーナーのいずれか一本を残して他の消火を確認をし、亜鉛の温度を見てダンパーを調整し、給水栓の閉鎖を確認する作業であって、右作業は三〇分程度で済ませることができる。以上の作業後、入浴し、食堂で夕食をとり、午後一一時に亜鉛メッキ槽の温度変化、バーナーの燃焼状況を確認してこれを記録し、食堂二階の宿直室で就寝する。そして、翌朝五時に起床し、亜鉛メッキ槽の温度変化を確認し、午前八時に亜鉛の温度が四五〇度前後となるように亜鉛メッキ槽の燃焼バーナーを点火し、午前七時から同八時までの休憩時間に朝食をとり、同八時に作業日誌に必要事項を記入することになっていた。

原告の主張するような、従業員が残業時間にやり残した作業や翌日の段取り作業を宿直者が行う事実はない。

また、安博の死亡前日の九月一〇日、安博らが行った宿直業務は、二時間の残業を終えた後、ガスバーナー等の調整・点検と翌日のお茶沸かし程度のことであり、午後七時には夕食を取っていたし、亜鉛メッキ槽の点検は午後一〇時から同一〇時三〇分になされていた。

このように、宿直業務は、拘束時間は長いものの、宿直といえども仮眠程度でなく、現実には七、八時間の睡眠時間を取っていた。

したがって、宿直業務が安博にとって体力的に困難な業務ということはなかった。

② 日直業務については以下のとおりであった。

宿直と同様の必要性により、休日には、当番制で従業員二人が一組となって日直業務を担当することになっており、日直の者は引き続き当日の宿直業務も行うこととなっていた。

日直者は、午前八時に出勤し、亜鉛メッキ槽の温度確認、燃焼バーナー、ダンパーの調整、給水栓の閉鎖確認等、宿直業務と同様の業務を行う。

日曜日の日直については、苛性ソーダ槽、塩酸槽、冷却水槽の清掃がそれぞれにつき月一回、相生工場全体では月三回行われる。右清掃作業は、前日に液が汲み出された槽の底に残ったゴムをほうき等ではき集め、スコップ等ですくって排出した後、液を注入する作業で、二人で行うと二時間半ほどで終了する作業である。

③ 時間外の荷下ろしについては以下のとおりであった。

顧客によっては、相生工場の作業時間外に製品を搬入することもあるが、ほとんどは朝の作業開始時刻直前のことであり、宿直者二名とトラック運転手が荷下ろしを開始するが、朝の作業開始後は、段取り班の従業員がその後の荷下ろし作業を担当する。

作業時間終了後の製品搬入も月数回あるが、一回に搬入される数量は、一回のクレーンの操作で終了するくらいの量であり少なく、作業時間としても一〇分ないし一五分程度のものである。

また、日曜日の昼間に時として製品の搬入が行われることもあるが、一〇トン程度搬入されても、日直者二名とトラック運転手の計三名により六〇分以内で完了する作業である。

なお、時間外の製品の搬入時における製品の受け取りは、トラックからの荷下ろし作業と大まかな製品の損傷の有無の確認のみであり、製品の種類・数の確認や伝票とのつき合わせ等は作業開始後の段取り班の職務内容である。

イ 請求原因3(五)(2)イ①の事実は認めるが、同②の事実は否認する。

酸化タタキ作業では、最初に亜鉛メッキ槽の上にばらまいた酸化亜鉛を荒砕きする以外は、クレーンを利用して酸化タタキ治具で酸化亜鉛をたたくため人力を要する作業ではないし、酸化タタキ治具で酸化亜鉛をたたく作業中は、クレーンを扱う作業員以外の作業員は亜鉛メッキ槽から離れており、過酷な作業とはいえない。

九月一日に実施された酸化タタキ作業でも、計五名の作業員により午後五時から同八時までの間に実施されたが、安博の役割はタタキ作業と治具移動の補助であって、過酷な作業ではなかった。

(六)  請求原因3(六)の事実のうち、相生工場が南北に長い建物であることは認め、その余の事実は否認する。

相生工場は、地形的に峠に位置し、その建物は南北に長く、南面と北面が解放されていることから、夏でも風通しのよい建物である。また、建物には開口部が多く、天井は高く、屋根は越屋根状態になっている。

熱源である亜鉛メッキ槽の上には、直径八〇センチメートルから一メートルのファンが四基設けられており、亜鉛メッキ槽の熱は上昇してこれらのファンにより建物屋外に排気される。

仕上げ作業を行う仕上場は、亜鉛メッキ槽からは冷却水槽及び白錆防止液槽を間において、最短距離で八メートル離れており、亜鉛メッキ槽より一段低い位置にある。そして、仕上場には暑気対策用として、大型ファンが五、六台設置されている。

また、亜鉛メッキ槽に漬けられた製品は熱を帯びているが、冷却水槽及び白錆防止液槽に漬けられるため、仕上場に来たときには手で触れることができるぬるめの湯程度の温度に下がっている。

以上のとおり、相生工場は、開放性、通気性及び換気性が良く、また、亜鉛メッキ槽の熱や他の作業による蒸気が工場内に滞留することはなかったし、いわんや、安博が従事していた仕上場は、亜鉛メッキ槽や冷却水槽から離れており、被告が安博に異常な高温多湿の有害作業に従事させていた事実はない。

(七)  請求原因3(七)の事実は否認する。

安博は、死亡した前年度(平成元年度)については、繰り越し分を含めて三五日の有給休暇が与えられていたが、そのうち三二日を消化しているし、平成二年についても七月二八日と八月二二日に有給休暇を取っており、かつ、その届け出は事後になされることが多く、相生工場では、決して有給休暇が取りにくい状況にはなかった。

加えて、相生工場では、八月一一日から同月一九日までの間、夏期休暇となっていた。

また、安博が、九月五日に有給休暇を請求した事実はなく、被告がこれを拒否した事実もない。

なお、復職直前の七月一六日から同月一八日までが有給休暇扱いとなっていた理由は、前記主張のとおりである。

(八)  請求原因3(八)の事実は否認する。

安博は、退院後も、半田外科病院へは七月六日、九日、一〇日、二〇日、八月一四日、二七日、二八日と通院し、その間、医師に対し、開口障害、左顔面の痺れ・膨脹・疼痛、複視を訴えてはいるが、八月二八日には複視がないと述べているし、同日以降は通院もしていない。また、右通院日のいずれにおいても疲労の訴えをしていない。

また、相生工場では、八月一一日から同月一九日までは、夏期休暇となっていた。

したがって、安博が死亡直前において疲労困憊していた事実は存在しない。

(九)  請求原因3(九)の事実は否認する。

前記主張のとおり、安博の復職後の作業内容は、かなり筋力を使う労働でも過密重労働でもなかったし、作業環境も原告が主張するような苛酷なものではなかった。

また、安博の健康状態についても、開口障害により体調がすぐれなかったという事実もなかったし、医師に対してもその事実を申告していない。

死亡直前の夏期休暇等も存在した事実からしても、体力の消耗により疲労が蓄積していたという事実も存在しない。

死亡前夜についても、同僚から貰ったビールと自分の酒により相当量飲酒し、ろれつが回らない状態であったが、当日は、宿直室でパンツ一枚で眠りについたようで、当夜も同人には何らの異常なく午後一〇時ないし同一〇時三〇分ころに就寝したものと思われる。

(一〇)  請求原因3(一〇)の事実のうち、安博が七月一九日から八時間労働に従事し、同月二一日の土曜日に勤務し、同月二三日から残業を始めたこと及び九月一日の土曜日に勤務し、午後八時まで残業して酸化タタキ作業を行ったことは認め、その余の事実及び主張は争う。

(1) 復職時期について

被告は、安博から横田に対し、七月一八日ころ、前記(二)のとおり七月一九日から出勤したい旨の連絡がなされた際、横田は安博の体調が良いか否かを確認して出勤を認めたものである。

(2) 作業内容の変更等について

安博は、本件交通事故以前には、前述のとおり、前記(三)(2)⑩ないし⑫の出荷作業に従事していた。右作業は、力作業ではないものの、クレーンや台車の移動に伴い約八〇メートルある工場建物の中を歩く必要がある個人作業であった。

このため、横田は、右作業が入院のため足が鈍っていたであろう安博にとっては疲れる作業になると考え、職長及び班長と相談し、また安博とも話し合いの上、仕上げ班のうち、安博が以前長く従事していて慣れている仕事と思われる前記(三)(3)⑥ないし⑨の仕上げ作業に従事してもらうこととした。

右作業には、八名の従業員が従事しており、右作業なら安博も疲れたら作業途中に少し休むとか自分のペースでやれるし、安博が以前従事していた作業であることから、安博にとっても本件交通事故前の作業に比べて容易であるとの横田の判断によって作業内容を変更したものであり、被告も事故以後の安博の作業量の軽減を配慮していた。

また、安博が復職した七月一九日当日、横田は、安博に対し、体調が戻るまでは自分のペースで仕事をするように注意し、また、職長及び班長には他の作業員に対しても協力するよう話しておくよう指示した。

現に、横田は、工場を見回ったりしたときに気をつけて安博の仕事ぶりも見ていたが、作業を中断して積み荷や台車のところで休憩を取っている安博の姿を確認しているし、安博自身も、作業中に仕事を止め腰を掛けていることも多かった。

安博が、七月二一日に土曜出勤した際、横田が安博に体調を尋ねると、同人は「ボチボチなら大丈夫だ」と返答した。

七月二三日からの残業も、同月三〇日からの宿直も、安博から「やりたい、できるわ」との申し出があったことによるものであり、被告から残業や宿直勤務を指示したものではない。

右いずれの場合も、横田は、安博の体調について確認しているし、身体の不調について、横田、職長及び班長のいずれも安博から聞いたことはない。

(3) 被告の過失について

安博について、本件交通事故以前に心筋梗塞を疑わせる所見があったか否かなど、同人の健康状態については、被告はこれを知りえなかった。

また、原告が主張するような安博の健康状態であれば、同人において必要な診察を受け、また、治療や休業の必要があれば自ら行うべきである。被告は、これらによる休暇等を拒むものではなかったし、勤務時間内における通院も認めていた。

また、右(1)ないし(3)のとおり、被告は、安博の勤務内容についても復職後は適切に配慮してきた。

したがって、本件において、安全配慮義務に関する被告の過失は存在しない。

4  請求原因4のうち、(一)(1)及び(三)の事実は認めるが、その余は否認ないしは争う。

5  請求原因5の事実は認める。

6  請求原因6の事実は争う。

三  抗弁―過失相殺

安博は、復職の前後を通じて、自己の体調を十分自覚できたはずである。

現に、復職後も、同人は、上司からの問い掛けに対しても、その都度「ぼちぼちや」、「ぼちぼちやってる」と言って自ら仕事に従事していたものである。

原告富美子も、退院後の家庭での安博の言動体調を良く知りうる立場にありながら、安博の通院状況を十分に把握しておらず、病院での診察なども勧めていない。

安博自身も、復職後は七月二〇日、八月二七日、二八日とまばらに通院しているものの、複視のみを訴え、疲労感等の訴えもせず、病院に行くことについて何の支障もないのに他科の診察も受けていない。

また、安博の復職、残業開始及び宿直開始の各時期は、安博の申し出によるものであり、被告は何ら強制したものではない。

更に、安博は、死亡した宿直当夜は、クーラーの効いた食堂でろれつの回らなくなるほど酒を飲み、クーラーのかかっていた宿直室で裸で眠っていたなど、全く自己管理をしていなかった。

以上の事実に照らすと、仮に本件死亡事故について被告に安全配慮義務違反があったとしても、安博の死亡については、同人にも大きな過失があることから、大きく過失相殺されるべきである。

四  抗弁及び被告の反論に対する認否

1  抗弁について

抗弁事実は否認する。

当時、相生工場は、例年にない忙しさにあり、それまで入院して仕事を休んでいた安博にとっては、復職後に健康の不調を訴えて再度仕事を休むことは無理であった。

安博は、退院後も半田外科病院に通院しており、死亡直前も複視を訴えているなど、可能な限り自己の健康管理を行ってきている。

また、安博の健康状態については、同人が七月五日まで入院し、その後も通院が必要であったことは被告も承知している上、安博が満足に食事ができないこと、負傷の部位、傷痕の程度及び開口制限の後遺症が残っていることについても当然被告は知っていたはずである。

更に、暑熱な作業環境、平成二年の夏が例年になく暑かったことからしても、右のような健康状態にあった安博が疲労困憊していることは被告も容易に知りえたものであり、しかも、このような安博の健康状態は、被告がその気になれば、安博の主治医に確認するなり、産業医の診察を受けさせるなりして知ることができたのであって、被告がこのような従業員の健康に配慮するための初歩的な義務も履行しない本件では、安博の過失相殺を主張することは許されない。

2  請求原因に対する認否及び被告の反論の事実について

「請求原因に対する認否及び被告の反論」3(四)(2)の事実のうち相生工場における工程の流れ及びその作業内容が概ね被告主張のとおりであること、同3(五)(1)の事実のうち時間外手当の支給内容並びに同3(五)(2)ア①及び②の事実のうち宿直及び日直業務に被告主張の内容も含まれていることは認めるが、その余の主張は否認ないし争う。

第三  証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおりであるからこれを引用する。

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  本件交通事故について

1  請求原因2(一)及び同(二)(1)の事実は当事者間に争いはなく、原告堂本富美子本人尋問の結果により原本の存在及びそれが真正に成立したものと認められる甲第四号証、成立に争いのない甲第一七、第一八号証、証人伊藤康夫の証言及び原告堂本富美子本人尋問の結果によれば、安博は、本件交通事故により、骨に達する顔面挫創、左頬骨鼻骨開放性骨折、左眼窩内開放性骨折等の傷害を受け、事故当日に半田外科病院に入院し、六月一九日顔面多発骨折観血手術を受け、七月五日退院したこと、その後、七月六日、九日、一〇日、二〇日、八月一四日、二七日、二八日と同病院に通院したこと、退院当時、安博には開口障害があり、七月一〇日時点において開口の程度は一センチメートルであったが、八月一四日には開口の程度が2.5センチメートルと徐々に回復していたこと、又、八月二七日には複視を訴えたため、翌二八日に眼科で診察を受けたが、眼科的には異常が認められなかったことが認められる。

2  本件交通事故の発生態様について

前記争いのない事実に証人花井安夫及び同横田憲幸の証言(以下「花井証言」及び「横田証言」という。)並びに横田証言により真正に成立したものと認められる乙第一七号証を総合すれば、本件交通事故は、花井が本件フォークリフトを操作して、その爪の部分でトラックから積み荷の床板(幅約3.6メートル、奥行き約二メートル)を持ち上げ、その状態で九〇度左方に旋回しながら後進した後、工場に前進して搬入するため一旦停止した直後、原動機付自転車に乗った安博が右床板に衝突して発生したことが認められる。

原告は、本件交通事故の原因につき、花井が突然本件フォークリフトを稼働させたため、原動機付自転車を運転していた安博が衝突したものである旨主張し、証人安田信男及び原告富美子本人の各供述には、右原告主張に沿うかのような供述部分があるので、以下右供述内容を検討する。

ところで、原告富美子及び証人安田の右各供述部分は、本件交通事故後において、安博が、事故発生状況につき安田証人もしくは原告富美子に説明した内容を基にするものであるが、安博の右説明の大要は、「トラックの荷台から本件フォークリフトの爪部分に積み荷を移し替えた花井が、右斜め後方に後退し、トラックとほぼ平行の状態に一旦停止した後、爪を下げずに工場に向かって前進しようとした際、ハンドルの切り戻し操作を前進する段階で完了していなかったため、前進と同時に本件フォークリフト本体及びその積み荷が一瞬右側に振れ、そのため本件フォークリフトの横を通りすぎようとした自分がその進行方向に出てきた積み荷の床板に衡突した」というものである。

また、証人安田の供述には、フォークリフトを左方に九〇度旋回しながら後退した場合において、ハンドルを切り戻さずに次に前進操作を行うことがあり、この場合にはフォークリフト本体及びその積み荷が一瞬右側に振れる結果を招くから、安博が話していたような事故もあり得るとの供述部分もある。

しかしながら、花井証言及び安田信男の証言(以下「安田証言」という。」を総合すると、フォークリフトの運転手は、フォークリフトの基本的操作として、フォークリフトを発進させる際には、通常、積み荷部分がバランスを失わないよう爪を移動前に地面近くまで下げていることが認められるところ、本件交通事故発生当時の積み荷の床板の大きさからすると、本件において、花井も右基本的操作に従っていたと考えるのが合理的であり、原動機付自転車に乗っていた安博の前記負傷部位に照らせば、本件交通事故当時、本件フォークリフトの爪の高さは、花井がトラックの荷台に爪の部分を差し込み、持ち上げた位置にあったものと認められ、右各認定事実によるとき、本件交通事故は、本件フォークリフトを前進させる前に発生したとの花井証言の方が合理的であり信用性が高いものと認められる。

よって、前記安博の話を前提とする前記証人安田及び原告堂本富美子の各供述部分はいずれも採用することはできず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠は存在しない。

3  自賠法三条に基づく責任について

被告は、本件交通事故は、停止していた本件フォークリフトに安博が衡突したことによって生じたものであり、被告側には本件交通事故発生について何らの過失もないから自賠法三条ただし書の規定によって免責される旨主張するところ、本件交通事故の発生態様が被告主張のとおりであることは、前記認定のとおりである。

しかしながら、前掲乙第一七号証並びに花井証言及び安田証言を総合すると、以下の各事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  本件交通事故が発生した時間帯は、残業を終えた被告従業員の帰宅時間帯である上に、本件交通事故発生地点は、相生工場に一か所ある出入口に通ずる一般通路であって、被告従業員は、本件フォークリフトが作業していた左右いずれかの地点を通行しなければならなかった。

(二)  本件交通事故発生直前から夕立が降りだしており、事故発生当時にはかなりの降雨があった上、付近には電灯等の照明がないため、かなり暗くて見通しの悪い状況にあったにもかかわらず、花井は本件フォークリフトのライトを点燈せずに作業をしていた。

(三)  本件フォークリフトの車体幅は約1.2メートルであるのに対し、本件交通事故発生当時の積み荷である鋼材の幅は約3.6メートルで、車両本体より左右にそれぞれ一メートル以上はみ出しているにもかかわらず、鋼材の高さは二〇センチメートル弱に過ぎず、遠方から確認しづらいものであった。

以上の事実によれば、右状況において作業を実施する場合には、花井としても、ライトを点燈して現場付近を見やすくするか、被告従業員のすべての帰宅を待って開始すべきであるところ、右行為を怠った花井にも本件交通事故発生につき責任が認められるから、被告に本件交通事故の発生について過失がないということはできない。

そうすると、被告には、自賠法三条本文に基づいて、安博が本件交通事故によって被った損害を賠償する責任があることとなる。

4  安博の過失及び過失割合について

前記認定事実によれば、安博においても、原動機付自転車を運転するに際し、前方を注視していれば、本件フォークリフト及び積み荷の状況を発見して、進路を変更するとか、ブレーキをかけて停止するなどして本件交通事故を回避しえたにもかかわらず、漫然進行した結果、本件フォークリフトの積み荷の右端に衡突したものと認められるから、安博には、前方不注視の過失があったものと推認される。

そして、安博の右過失と本件交通事故の態様、特に薄暗がりの状況でしかも降雨により見通しの悪い状況でライトを点燈せずに作業をしていた花井の過失を比較勘案すると、安博の過失割合は四〇パーセントと解するのが相当である。

5  損害額の算定について

そこで、本件交通事故により発生した損害について検討する。

(一)  療養費一〇三万七七三二円

安博が本件交通事故により要した療養費が一〇三万七七三二円であることは当事者間に争いがない。

(二)  休業損害四三万七五五二円

弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証の五ないし九によれば、安博は、本件交通事故当時、被告に勤務し、本件交通事故前三か月を平均すると一か月当たり三一万九四六九円の収入を得ていたこと及び休業していた六月四日から七月一五日までの期間に相当する給与として被告から合計一九万一七五〇円の支給を受けていたことが認められ、安博の休業期間における休業損害は、少なくとも原告らが主張する四三万七五五二円を下らないことを認めることができる。

(三)  慰謝料

本件事故の態様、安博の入院・通院内容、同人の受傷の部位・程度(後遺障害の部位・程度を含む)等の諸般の事情を考慮すると、安博が本件交通事故によって被った精神的苦痛を慰謝すべき額は、原告ら主張にかかる二六〇万円を下らない金額をもって相当とする。

したがって、安博が本件交通事故により被った損害額は、右(一)ないし(三)の合計四〇七万五二八四円となるところ、前記判示のとおり、安博には、本件交通事故の発生につき四〇パーセントの過失があるものと認められるから、右損害の合計額から過失相殺として四〇パーセントを控除すると、残損害額は二四四万五一七〇円となる。

6  損益相殺

安博が、本件交通事故に関し、右損害に対する填補として労災保険等より合計二七八万〇五八四円を受領していることは当事者間に争いがないところ、右受領額は前記5の残損害額を超過している結果となるから、本件交通事故に関する安博の被告に対する損害賠償請求権は現存しないこととなる。

以上によれば、その余の事実について判断を加えるまでもなく、本件交通事故に関する原告らの被告に対する請求は理由がない。

三  本件死亡事故について

1  請求原因3(一)(安博の死亡)の事実は当事者間に争いがない。

2  請求原因3(二)(安博の退院の経緯及び復職時の健康状態等)について

右当事者間に争いのない事実に成立に争いのない甲第八号証、第一七、第一八号証、証人伊藤康夫の証言(以下「伊藤証言」という。)及び原告堂本富美子本人尋問の結果を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  前記二1認定のとおり左頬部を受傷した安博は、六月四日半田外科病院に入院した当初において流動食を摂取し、同月七日昼食より普通食に戻ったものの、同月一九日に手術を受けたため、翌二〇日から食事内容は五分粥食と軟菜に制限され、更に同月二五日から七月五日の退院時までの期間を通じて全粥食の食事制限が加えられていた。

(二)  安博及び家族から七月二日に退院希望が出され、受傷部分の術後経過が順調であったため、医師においても通院による加療が可能と判断し、同月五日半田外科病院を退院した。

しかしながら、前記二1認定のとおり安博には後遺症として開口障害が残っていたため、退院時以降においても固形物を含めて通常食の摂取が困難な状態が続いていた。

(三)  安博は、右入院期間中の六月二〇日頃には術後肺炎を併発し、その治癒までに一週間くらい要したが、その間は安静加療の指示を受けていた。

(四)  安博を診察していた主治医も、安博については、食事が十分に摂取できていないことなどから、退院後も自宅において一か月程度の安静加療を必要とし、復職時においても、体力の不足等により、肉体労働以外の軽い事務的な仕事から体を慣らした方が良いとの判断を有していた。

なお、原告らは、本件交通事故が労災扱いとなっていたことから長期間の入院はできないと担当医師から言われたため七月五日に退院した旨を主張するが、本件全証拠に照らしても右事実は認められない。

以上の(一)ないし(四)の認定事実によれば、安博は、復職時においても、食事が十分に摂取しえなかったことや約一か月にわたる入院生活のため、本件交通事故以前と比較すると、体力的にかなり低下し、復職後安博が従事した後記作業に適する健康状態には至っていなかったものと推認される。

3  復職後の安博の労働時間と勤務状況の概要等(請求原因3(三)等)について

請求原因3(三)の事実(相生工場の勤務体制について)は当事者間に争いがなく、横田証言及び同証言により真正に成立したものと認められる乙第一一号証の一ないし二一及び乙第一三号証の一、二によれば、復職後の安博の勤務状況は別紙のとおりであることが認められる(なお、「出勤」欄の○印は、土曜出勤を含めて午前八時から午後五時までの所定内労働時間帯に勤務した專実を、「所定外労働」欄は、宿直、日直勤務に対する時間外手当の支給も含めて、給与支払い上所定外労働時間として認められた時間数(単位は時間数)を、「日直欄」の○印は、安博が該当日に日直勤務に就いた事実を、「宿直欄」の○印は、安博が該当日の夜に宿直勤務に就いた事実をそれぞれ意味する。)。

4  復職後の安博の作業内容等(請求原因3(四)ないし(六))について

当事者間に争いのない請求原因3(三)の事実に成立に争いのない乙第二号証、横田証言及び同証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、安田証言を総合すると、次の(一)ないし(五)の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

(一)  安博の所定労働時間内作業内容(請求原因3(四))について

(1) 安博は、復職後は、本件交通事故前と同じく一一名が配置されていた仕上げ作業班に所属し、主に、メッキ班より引き継いだ製品からワイヤー・番線を外し、メッキ不良部分を発見した場合にはサンダーをかける等してメッキむらを修正する等の手直しを済ませた上、製品の品質管理、客先及び数量確認を行い、梱包する仕上げ作業に従事していた。

(2) 安博の死亡前は、仕上げ場には作業台は設置されておらず、製品は床に置かれた枕木の上に載せた状態で作業をしていたため、各作業員は、メッキ不良部分の発見及び手直し作業を行う場合、中腰あるいはしゃがむなど無理な作業姿勢を取らざるを得ず、かなり肉体的負担があった。

(3) メッキする製品は、重いもので三〇〇キロを越す重量のものもあり、重量物を移動等させる機械としてクレーンが設置されていたものの、重さが約三〇キロ未満の製品を移動したり確認のため裏返す場合には、仕事の能率を上げるため、吊り上げ装置であるクレーンを利用せず、一人が手作業でこれを行う取扱いとなっており、また六〇キロ程度の製品についても二人掛かりで手作業で行うなど、比較的重い物であっても人力で移動ないし裏返す作業を行うため筋力を用いる作業内容であった。

(二)  土曜勤務(請求原因3(五))について

(1) 相生工場では、週休二日制を採用していたため、土曜日は休日となってはいたが、工場生産量を確保するため、土曜日についても休日出勤を実施する慣行があり、前日の金曜日に出勤者を確認していた。

なお、極端に出勤予定者が少ない場合には、土曜出勤を中止する場合もあったが、工場長からできる限り出勤して欲しい旨の指示を出したこともあった。

また、出勤者が少ない場合でも、納品の都合などで中止できない場合は、少ない出勤者でこなせる作業を実施していた。

(2) 土曜日には全体の約三分の二の作業員が出勤していたが、作業内容は基本的に平日と同一の作業内容であった。

しかしながら、段取りの終了した製品が不足し、仕上げ班の作業を行う製品が無くなった場合には、仕上げ班の作業員が段取り班の仕事に従事していた場合もあった。

(三)  宿直勤務(前同)について

(1) 相生工場では、作業員二六名を職長・班長等の役職の有無等に応じて二班に分け、一〇日ないしは一三日に一回の割合で宿直勤務が割り当てられていた。

宿直開始時間は、本来は定時勤務終了後の午後五時から翌朝午前八時までであったが、二時間の残業が慣行となっていたことから、現実の宿直業務開始時間は午後七時であった。

(2) 宿直本来の業務内容について

相生工場において、盗難防止、守衛業務等の一般的な宿直業務のほかに宿直の本来の業務として、宿直当夜において、業務終了後のフラックス槽と苛性ソーダ槽の燃焼バーナーの消火の確認、亜鉛メッキ槽の燃焼バーナーの調節、給水の閉鎖の確認、電気・スイッチの確認等を行うこととなっており、その所要時間としては約三〇分を要した。宿直者は、宿直当時、右作業終了後、食事や入浴を済ませ、午後一一時には就寝前の亜鉛メッキ槽の温度の確認を行い、A重油の積算流量計の記録をして宿直室で就寝することとなっていた。

更に、宿直者は、翌日朝五時に起床して、亜鉛メッキ槽のバーナーを開き亜鉛メッキ槽温度を上昇させるとともに、フラックス槽と苛性ソーダ槽のバーナーに点火することとなっていた。

(3) 右以外の宿直業務について

相生工場では、右(2)の定型的な宿直業務以外に、次の(ア)ないし(オ)の内容の作業が宿直業務として実施されていた。

(ア) 作業時間の終了後、製品が納入されることが月当たり二、三回あり、この場合は宿直者が荷下ろしを行っていた。

(イ) 宿直明けの翌日早朝に取引先である株式会社ダイクレから製品が納入されることがあり、その場合は、朝八時の就業時刻の開始前に宿直者で荷下ろしをするよう被告から指示が出ていたが、右の作業は週の半分程度行われていた。

(ウ) 製品が苛性ソーダ槽や塩酸槽に漬けられたまま作業員が帰宅する場合があったため、宿直者が右各槽から製品の引き上げを行っていた。

(エ) 苛性ソーダ槽は相生工場に一槽しかなく、製品が滞った場合には翌日の作業が停滞するため、苛性ソーダ槽での処理を済ませておくことが望ましいものについて宿直者が段取り担当者に確認した上、右処理作業をしていた。

(オ) 前日までに亜鉛メッキ槽までの洗いの処理の済んでいる製品についても、一晩放置すると錆が進行することから、翌日の始業時間から直ぐに亜鉛メッキ作業を開始するために宿直者において翌朝もう一度洗い直しの作業をしていた。

右(ウ)ないし(オ)に要する作業時間は、約一時間程度であり、ほぼ毎宿直時に実施されていた。もっとも、相生工場では、実作業時間にかかわらず、宿直者には二時間の残業手当てが支給される慣行が存在していたが、右を二時間を越える作業を行った場合には、実作業時間分を宿直者が申告していた。

(四)  日直業務(前同)について

(1) 従業員の出勤しない休日には、相生工場の各従業員に順次日直が割り当てられており、日直者となった者は、その日の宿直業務も続けて行うこととなっていた。

(2) 日直業務としては、右(三)(2)の宿直者の本来の業務以外にも、メッキ班の作業のうち、塩酸洗いの作業を実施することとなっており、その場合には四、五時間の作業時間を要した。

また、日直回数の半分程度の割合で、右塩酸洗いの作業以外に段取り班の作業のうち苛性ソーダ槽に漬ける作業を実施する場合もあり、その場合には六時間程度の作業時間を要した。

(3) 更に、取引先から鋼材等の入荷があった場合には、その荷下ろしを行い、かつ製品の受付表や伝票を書く作業も課せられていた。

(4) 苛性ソーダ水槽、塩酸水槽及び冷却水槽の掃除作業(槽の底に溜まっているものをくみ出す作業)が、四回の日曜日のうち三回行われるが、右各作業には二時間ないし二時間半の作業時間を要した。

(五)  酸化タタキ作業(前同)について

相生工場では、亜鉛メッキ槽に溜まった酸化亜鉛を、容器にすくい取っておき、それが三缶程度溜まると、右酸化亜鉛を亜鉛メッキ槽にばら蒔き、その上から治具を利用してたたき、亜鉛を亜鉛メッキ槽に溶かし込んで再利用するため、土曜日の五時以降に酸化タタキ作業が実施されていた。

右作業は、二名の土曜日の宿直者と土曜出勤した三名の従業員が順番で担当することとなっていた。

右作業の概要は、まず、治具を用いて人力で大きな塊を潰し、次いで、クレーンによって吊った大型の酸化タタキ治具を亜鉛メッキ槽の上に落としながら潰し、最後に残った酸化亜鉛の屑をかき集める内容であった。

右作業に要する実時間は二時間半程度であったが、当初の人力で塊を潰す作業、次にクレーンの酸化タタキ治具を支える作業及び屑をすくう作業は、いずれも摂氏約四七〇度に熱せられた亜鉛メッキ槽から約一メートル離れた位置で行われるため、右作業はかなり暑く、また肉体的にも大変な作業ということで、慣行により四時間の残業手当てが支給されていた。

(六)  時間外労働が安博に及ぼす影響について

前記(二)ないし(五)において認定した事実によれば、宿直勤務は、バーナー調節のため早朝五時には起床する必要があるほか、前日の残業終了後や翌日早朝にも荷下ろしや塩酸洗い等の実作業がある場合が多く、また、宿直明けの通常勤務も続けて行われるため、作業員にとっては疲労が残る勤務であったということができるし、また、日直業務も、単なる保安業務に止まらず、実作業を伴う内容のものであり、又、酸化タタキ作業は、週末の土曜出勤の後に実施される作業という点でも疲労が残る作業であったということができる。

(七)  相生工場の作業環境等(請求原因3(六))について

前掲乙第二、第三号証、成立に争いのない甲第五号証、甲第三〇号証の一ないし五、横田証言及び安田証言並びに検証の結果によれば、次の事実が認められる。

(1) 相生工場は、南北に長い工場建物であり、南北方向には開口部が設けられ、換気扇あるいは扇風機が設置されているが、工場自体が大きいため、工場全体の通風は必ずしも良好ではなく、苛性ソーダ槽、塩酸槽等の水蒸気もそのまま上方向に立ちのぼる状態であった。

(2) そして、同建物内には、摂氏約四五〇度に熱せられた亜鉛メッキ槽があるため、仕上げ場においても外気温よりも摂氏一、二度高く、また冷却水槽等から立ちのぼる水蒸気により湿度も八五パーセント程度あった。

(3) また、仕上げ場用に設置された冷房装置はなく、可搬式の扇風機が仕上げ場に向けられて暑気対策が講じられていたが、作業員は夏でも長袖の作業服、安全靴、ヘルメットを着用した作業を行うため、夏場において作業員がかなり汗をかく状態であった。

(4) そして、七月から九月にかけての相生市の朝九時とその日の最高気温は、安博の復職した七月一九日から同月三一日までの期間においてそれぞれ摂氏約30.4度と同約34.5度、八月の一か月間ではそれぞれ同28.1度と同32.1度、九月一日から安博死亡前日の九月一〇日までの期間においてそれぞれ同26.7度と同31.0度であったこと及び七月一九日から九月一〇日までの間に最高気温が摂氏三〇度を下回った日は僅か四日間に過ぎず、平成二年夏は、最高気温が全国的にも平年値を上回り、相生市地方でも平年の暑さをはるかに凌ぐ猛暑であったため、相生工場において、各作業員も、日中の作業時間中は、発汗による疲労も著しいものがあった。

5  平成二年当時の相生工場の作業量及び安博の労働量等(請求原因3(七))について

前掲乙第二号証、第一一号証の一ないし二一、横田証言及び安田証言並びに原告堂本富美子本人尋問の結果を総合すれば(後記のとおり採用できない部分を除く。)、次の事実が認められる。

(一)  安博が復職した平成二年七月当時は、相生工場では、取引先からの受注量が増加し、月産メッキ処理一〇〇〇トンという相生工場の月産メッキ処理能力と同一の作業量を目標に作業が実施されていた。

(二)  相生工場では、従前三時間の残業が恒常的に実施されていたところ、帰宅時刻が遅れる等の苦情が従業員から出されたため、安博の復職当時には、残業時間を二時間とする代わりに、現場作業員を二グループに分けて交替制で昼休みを取ることによって午前一一時三〇分から午後一時三〇分までの時間帯も継続して作業を実施する制度が採用され、残業時間も二時間以内に収めるよう工夫された。

(三)  相生工場では、定時退社日である水曜日を除いてほぼ連日各作業員が二時間の残業を行い、また、土曜日にも社員の約三分の二が出勤して作業を実施するなど、いわゆるフル操業の状態にあり、現場からも人員増員の要望が出ていた。

(四)  安博も、復職後は相生工場の他の仕上げ班の作業員と同程度の作業を行っていた。

なお、右(四)の事実に関し、被告は、安博が作業中に仕事を止め腰を掛けていることが多かった旨主張し、証人横田の供述中にも右主張に沿う部分がある。しかしながら、証人横田の供述においても、右安博の休憩時間や頻度及び他の作業員との休憩内容の差異など具体的内容については明確に述べられていないし、前記認定のとおり、復職後間もない時期から安博が他の作業員と同様の残業、土曜出勤あるいは宿日直の割当てをこなしていたとの事実に照らすと、右証人横田の供述部分をそのまま採用することはできないし、本件全証拠によっても、右被告主張を認めることはできない。

6  復職後の安博の自宅における生活状況等(請求原因3(八))について

前掲の甲第一八号証、弁論の全趣旨により原本の存在及びそれが真正に成立したものと認められる甲第三二号証、伊藤証言及び原告堂本富美子本人尋問の結果を総合すれば、復職後における安博の生活状況等につき、次の事実が認められる。

(一)  安博は、復職後も開口障害が残っていたため、食事量も減り、肉類などの硬めの食事を避け、柔らかめに炊いたご飯を好んで食べていた。

(二)  本件交通事故前は、午前六時には一人で起床していたが、復職後は寝起きが悪くなり、また、帰宅後に夕食を取った後も風呂に入るまでの間、家人が起こすまでごろ寝をするなど、休息する時間が長くなり、また妻との会話でも仕事による疲労をしばしば訴えていた。

(三)  安博は、医師の指示に従い、復職後も半田外科病院に通院していたが、引き続き開口障害が残っていたほか、八月二七日ころには左頬の顔面の痺れが残っていたほか、一時的に治まっていた複視が再発するなど、肉体的疲労以外にも精神的なストレスが生じていた。

(四)  九月一日に土曜出勤及び酸化タタキ作業を終えて帰宅したが、疲労困憊した様子であり、そのため孫と遊ぶのが億劫な様子であり、翌日の日曜日も外出せず家の中で過ごしていた。

また、九月九日の日曜日の昼食後は、夕方近くまで昼寝をしていたほか、妻の買い物には、疲れを理由に付き合わなかった。

(五)  九月に入ると、身体的疲労を理由に、有給休暇を取りたいが、仕事が忙しいため取ることができないと自宅において妻に話していたほか、死亡した九月一〇日の宿直当夜にも、自宅宛の電話の中で、妻に対し、九月一二日には有給を取りたい旨の希望を話していた。

7  死亡前日から死亡時までの安博の勤務状況について

当事者間に争いのない請求原因3(一)の事実に、成立に争いのない甲第七号証、前掲甲第三二号証、横田証言、証人烏飼信男の証言(以下「烏飼証言」という。)及び原告堂本富美子本人尋問の結果を総合すると(後記採用できない部分を除く。)、次の事実が認められる。

(一)  安博は、九月九日の日曜日は自宅にて休日を過ごし、翌一〇日は、午前六時ころ起床し、同六時三〇分ころ自宅を原動機付自転車に乗って出発し、約三〇分後に相生工場に到着した。

(二)  同人は、午前八時から所定内労働を開始し、午後五時からは二時間の残業を行い、その後は実作業もなく、亜鉛メッキ槽のバーナーの調節その他所定の宿直業務を終えた午後七時過ぎ、同僚の烏飼信男(以下「烏飼」という。)とともに宿直室建物一階の食堂で食事を取ったが、その際、五〇〇㏄の缶ビール一本と日本酒を飲んだ。また、安博は、右食事途中に自宅等に電話を掛けていた。

(三)  烏飼は、午後一〇時ころ、クーラーのタイマーをセットした宿直室へ先に上がり就寝したが、安博は、午後一〇時三〇分ころ、亜鉛メッキ槽の温度等の確認を行い、宿直日誌に記録し、その後宿直建物二階の宿直室で就寝した。

翌一一日午前六時ころ、烏飼が目を覚ましたところ、パンツ一枚の状態でうつ伏せになって死亡している安博を発見したが、死体検案の結果、安博は同日午前三時ころ死亡したものと判断された。

なお、甲第七号証中には、安博が烏飼とともに、九月一〇日の残業終了後も約四〇分の実作業を行った旨の記載が存在するけれども、烏飼証言によれば、右は宿直に慣行として二時間の残業を付けていた理由を労働基準監督署の担当者から問われたことに対する説明として創作したものと認められ、右記載部分は直ちに採用できない。

8  安博の死亡と業務との因果関係(請求原因3(九))について

(一)  相当因果関係の判断について

本件死亡事故については、その死亡原因が急性心不全であることは当事者間に争いがないところではあるが、急性心不全の直接原因となる心臓疾患については、本件全証拠によっても明らかではない。

しかしながら、本件において安博の健康状態を明らかにする主旨は、同人の疾病の医学的解明自体にあるのではなく、安博の従事していた作業内容と安博の死亡事実との法的な意味での相当因果関係を明らかにすることにあるのであるから、解剖所見が得られていない本件のような場合にあっても、死亡した者の既存疾病の有無、健康状態、従事した業務の性質、それが心身に及ぼす影響の程度、健康管理の状況及び死亡事故発生前後の死亡した者の勤務状況の経過等諸般の事情を総合勘案して、疾病と業務との因果関係について判断すれば足りるものと解する。

そこで、以下、右見地から安博の死亡と業務との関係について検討する。

(二)  安博の本件交通事故前の健康状態について

成立に争いのない乙第六号証及び第七号証の一、二によれば、被告において年一回実施している定期健康診断の本件交通事故前の七回の安博についての受診の結果においては、尿検査について精密検査を受けていた事実は二回ほどあるものの、いずれも最終的には異常がない旨の判定を受けているなど、身体の異常は見つかっておらず、また、総コレステロール値及び中性脂肪値について行われた血液検査においても、いずれも正常範囲内にあったほか、高血圧症の基礎疾病も有していなかったこと、更には平成元年一〇月に実施された心電図検査においても異常判定を受けていないことが認められる。

また、前掲甲第三二号証及び原告堂本富美子本人尋問の結果によれば、安博は、本件交通事故前は、食欲も旺盛であり、夕食時に日本酒を毎日一、二合飲む習慣があったが、大病を経験したこともなく、普段から健康であったとの事実が認められる。

もっとも、成立に争いのない甲第八号証及び第九号証によれば、本件交通事故による入院時の心電図検査において、心電計が検査結果に基づき安博に心筋梗塞の可能性がある旨のコメントを出していた事実が認められるが、他方、伊藤証言によれば、心電計の出すコメントは一〇〇パーセント信用できるものではなく、右心電図等を手術担当の医師間において検討した結果、手術を施行する上でも支障となるものではないと判断されて手術が施行され、また、心筋梗塞に関する治療も施さなかった事実が認められ、右事実と伊藤証言を総合すれば、安博に心筋梗塞の基礎疾病があったとすることはできない。

(三)  前記三の2ないし7及び8(二)において、安博の健康状態と復職後の作業内容について認定したところを要約すれば次のとおりである。

(1) 安博は、本件交通事故以前において、高血圧症の基礎疾患もなく、また、血圧、血清総コレステロール値、中性脂肪値も含めて被告の実施する定期健康診断においても特に異常が指摘されたことはないなど、心臓疾患の原因となる基礎疾患等の存在を診断されたことはなかった。

(2) しかしながら、七月一九日の復職当時、安博は、一か月に及ぶ入院生活及びそれに続く約二週間の自宅療養生活に加え、本件交通事故の術後も残った後遺症のため、十分に固形物が噛めないことにより適切な食事が摂取しえない状態にあったため、本件交通事故前に比較するとかなりの体力が低下し、復職後安博が従事した作業に適する状態には至っていなかった。

(3) したがって、安博は、退院後も一か月程度の自宅療養を続けることが望ましく、また、復職するに際しても、直ちに本件交通事故以前と同様の肉体的作業を行うことは適切ではなかったにもかかわらず、退院約二週間後である七月一九日に復職した。

(4) 当時の相生工場は、メッキ加工すべき製晶の受注が増加した好調期にあり、水曜日を除いて平日二時間の残業、土曜出勤を実施し、更に昼休み二交替制を採用するなどしてフル操業の状態にあった。

(5) 平成二年の夏は、例年にない猛暑が続いた時期であるところ、相生工場の仕上げ場は、設備その他建物構造の関係上、外気温に比べて一、二度気温が高い上、冷却水槽等から発生する水蒸気により湿度も高い環境にあった。

(6) 相生工場における作業のうち、安博の従事していた仕上げ作業は、健康な作業員にとっても肉体的に負担のかかり疲労が残る作業であったが、安博は、右(5)の作業環境の下、長袖長ズボンの作業着とヘルメットを着用し、他の作業員と同程度の仕上げ作業に従事したため、発汗作用も加わり、次第に疲労が蓄積していく状態であった。

(7) 安博は、復職一、二日目は定時で退社したが、復職三日目の七月二一日には土曜出勤を開始し、以後夏期休暇期間中を除き六回ある土曜日のうち五回の土曜出勤を行った。また、復職五日目の七月二三日から一時間の残業勤務を、復職九日目の七月二七日からは二時間の残業勤務を自発的に各開始し、特に八月に入ってからは、定時帰宅日である水曜日と年休を取得した以外の出勤日にはほぼ連日二時間の残業を終えてから帰る毎日であった。

(8) 更に、復職一二日目の七月三〇日に第一回目の宿直勤務を行い、また八月一四日、八月二六日の休日には日直及び宿直勤務をそれぞれ行い、死亡前日である九月一〇日にも通常勤務及び残業勤務を終えた後宿直勤務に就いた。

(9) 八月二三日から九月一日までの一〇日間は、土曜出勤及び日曜日の宿日直を挿んで連続勤務となったが、右期間においても定時帰宅日である水曜日以外の平日は、ほぼ二時間の残業を行い、一〇日目の九月一日土曜日には、午後五時以降に作業負担が重い酸化タタキ作業に従事してから帰宅した。

このため、九月一日の帰宅後以降は、特に安博において疲労を訴えるようになった。

(10) 安博は、九月三日月曜日から九月八日土曜日まで連続六日間勤務したが、右期間は、従前定時帰宅していた水曜日にも二時間の残業を行っており、すべての平日出勤日に残業を行っていた。

(11) 九月九日日曜日は、安博は、自宅において休日を過ごしたが、原告富美子に疲労を訴えることもあり、昼食後は夕方近くまで昼寝をしていた。

(12) 安博は、九月一〇日早朝自宅を出て、相生工場にて午後七時まで勤務した後、宿直勤務に就き、午後一〇時半以降に就寝したが、翌九月一一日午前三時ころに急性心不全により死亡した。

(四)  安博の死亡事実と業務との因果関係の考察

ところで、成立に争いのない甲第一九号証、第二三号証、第二六号証を総合すれば、休日出勤を含む長時間労働が続いたことによる過重な労働負担によって精神的・身体的負荷がかかると、心臓等に影響を及ぼし、脳血管疾患や心疾患などの急性循環器障害が発症し、その結果死亡に至る可能性があることが認められる。

そして、右医学的見地から前記(三)(1)ないし(12)の事実を考察すると、開口障害、顔面の痺れ及び複視などの精神的ストレスを抱えたまま復職した安博は、右復職当時、本件交通事故以前と同様の作業を行う身体的条件を具備していなかったにもかかわらず、前記認定のような残業、土曜出勤及び宿日直勤務に就いたため、結果的に同人の健康状態との関係で過重な負担となる労働を継続し、同人の身体に精神的・肉体的疲労が蓄積して慢性的過労状態となり、右慢性的過労状態が急性心不全の誘因となり、結果的に同人の死亡を招来せしめたと推認するのが合理的である。

もっとも、前記のとおり、安博は九月二日及び同月九日の両日曜日は自宅にて過ごしていることから、発症前に連続勤務していた事実は存在しないが、同人の年齢が当時五九歳と高齢であって疲労回復が若年者に比べて遅いことや、体力の消耗により慢性的な疲労が蓄積されていた事実に照らせば、右各一日の休暇のみによって安博に疲労回復のための必要な休養が与えられていたと認めることはできない。

更に、前記のとおり、死亡前夜に安博がビール及び日本酒を飲み、クーラーのタイマーをセットした宿直室において上半身裸のままで就寝していた事実が認められるが、本件全証拠によっても、右飲酒等の事実が安博の直接の死亡原因となったと認めることはできない。

9  被告の安全配慮義務違反の事実(請求原因3(一〇)について

(一)  被告の注意義務について

使用者は、労働者を雇用して自らの管理下に置き、その労働力を利用して企業活動を行っているものであるから、その過程において労働者の生命、健康が損なわれることのないよう安全を確保するための措置を講ずべき雇用契約に付随する義務(安全配慮義務)を負っており、したがって、労働者が現に健康を害し、そのため当該業務にそのまま従事するときには、健康を保持する上で問題があり、もしくは健康を悪化させるおそれがあると認められるときは、速やかに労働者を当該業務から離脱させて休養させるか、他の業務に配転させるなどの措置を執る契約上の義務を負うものというべきであり、それは、労働者からの申し出の有無に関係なく、使用者に課せられる性質のものと解するのが相当である。

そして、本件における安博の復職時の健康状態は、前記のとおり、直ちに本件交通事故前と同様の作業内容に従事できる状態になかったのであり、被告も右事実については、横田その他の同僚を通じて容易に知り得る状況にあったものと認められるのであるから、その復職にあたり、被告としても、安博の主治医と十分に相談し、あるいは産業医による判断を仰いだ上、安博の健康状態に応じて、残業及び宿日直勤務を禁じ、または、その作業量及び作業時間を制限し、あるいは右制限のみで不十分な場合には、その職種を変更する等の措置を講ずるべき義務を有していたものというべきである。

(二)  そこで、次に、本件において、被告が右義務を履行していたか検討する。

(1) 右の点につき、被告は、安博の復職にあたって、工場長である横田が安博に体調等を確認したことによって復職の可否についての注意義務は果たした旨主張し、横田証言中にもこれに沿う供述部分が存在する。しかしながら、右横田証言により認められる確認内容も、医師の判断等を前提にするなど医学的裏付けを基礎になされたものとは認められないし、本件全証拠によっても、被告が安博の復職にあたって主治医等に復職の可否を確認した事実も認められない。

また、土曜出勤及び残業のみならず、宿直及び日直勤務についても、単に拘束時間が増えるだけではなく、実作業を伴い、疲労の蓄積につながる業務であるにもかかわらず、安博が右各勤務を行うについて、被告においてその可否を検討した事実も認められない。

したがって、本件復職に際し、被告が行った確認行為の内容及びその程度は、前記(一)において課せられた被告の業務内容に照らすと、不十分な内容と言わざるを得ず、右の点において被告が十分に注意義務を果たしたものとはいえないこととなる。

(2) また、被告は、安博の復職に際し、出荷作業から仕上げ作業に変更したのは、安博の作業量の軽減を考慮したものであるし、安博には自己のペースに併せて作業するように指示し、また、職長及び班長には、安博が自己のペースで仕事できるよう協力してやって欲しいと他の作業員に話しておくよう指示した旨主張する。

しかしながら、本件全証拠によっても、出荷作業と比較して仕上げ作業が肉体的・精神的に疲労が少ない作業であるとは認められないし、前記認定のように、現実に安博が他の作業員との比較において、特に休憩を余分に取っていた事実も作業量においても差異があった事実も認められないから、本件において被告の右主張を認めることはできない。

(三)  以上のとおり、本件では、被告には、安博の健康状態を悪化させないよう業務の量的、質的な規制措置を講ずる安全配慮義務が存在したところ、被告が右義務を尽くした事実は認められないし、又、被告が前記措置を執りえなかったとする事情は本件証拠上何らこれに窺うに足るものはないから、被告について過失が無かったということもできない。

被告は、復職については、被告がこれを強制したものではなく、専ら安博の判断によるものであるし、また、安博からは、何ら体調に異常がある旨の申し出もなされなかったと主張するが、被告の負う前記安全配慮義務は、労働者の申し出により始めて生ずる義務ではなく、労働者の使用という事実により当然に発生するものであり、また、被告も安博の前記療養の事実を認識していたのであるから、被告主張の右事実が存在したとしても、被告がこれにより免責されるものではない。

したがって、被告は、安全配慮義務の債務不履行によって安博に生じた損害を賠償すべき義務があるというべきである。

10  損害の算定(請求原因4)について

(一)  安博の損害

(1) 逸失利益

当事者間に争いのない請求原因一1(二)の事実に、成立に争いのない甲第一号証の二、乙第五号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第一〇号証の一ないし一〇に弁論の全趣旨を総合すると、安博は、平成二年一月一日から一年契約で再雇用された昭和六年四月三〇日生(本件死亡事故当時五九歳)の男子であるところ、本件交通事故前には前記認定の一か月当たり平均三一万九四六九円の給与を、平成二年夏期賞与として三九万九二〇〇円を得ていた事実が認められるほか、右事実に照らせば、本件死亡事故がなければ、同年冬期賞与として右夏期賞与と同額の賞与を得ていたものと推認され、右各事実によれば、安博は、本件死亡事故がなければ、更に六七歳までの八年間就労可能であり、その間に少なくとも、一年間に原告主張にかかる四一三万六二〇〇円の収入を得ることができたものと推認され、安博の年齢、収入その他の事情を考慮すれば、安博の生活費は収入の五〇パーセントとするのが相当である。

そこで、右期間中の安博の逸失利益につき、新ホフマン方式により年五分の割合による中間利息を控除して本件死亡事故当時の現価を算出すれば、次のとおり一三六二万六七一〇円となる。

(算式)

4,136,200×(1−0.5)×6.589=13,626,710

(2) 慰謝料

本件死亡事故に至る経緯、安博の年齢、家族構成その他本件において認められる諸般の事情を総合すると、安博の死亡による慰謝料としては、二〇〇〇万円をもって相当と認める。

(二)  葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、安博の葬儀のため、原告富美子が一〇〇万円を必要としたことを認めることができ、これは本件死亡事故と相当因果関係ある損害と認められる。

11  抗弁(過失相殺)について

被告は、安博又はその家族において、安博の健康状態を知ることができたのであるから、適切な健康管理を行うことが可能であったとし、また、復職、残業及び宿直も安博が自発的に行ったものであるから、安博には大きな過失がある旨主張する。

しかしながら、安全配慮義務は、使用者において自己の支配下に労働者を置く場合、使用者に当然に生ずるものであることは前記説示のとおりであり、労働者が健康状態を悪化させない等の配慮を行う第一次的な義務は使用者側にあるのであるから、本件全事実に照らすと、仮に労働者に被告主張のような事実があったとしても、損害賠償額の算定につき斟酌すべき過失があったということはできない。

以上によれば、その余の事実につき判断するまでもなく、被告の抗弁は理由がない。

12  原告らの取得損害賠償額(請求原因5)について

原告富美子が安博の妻であり、同教代及び同晃代が安博の子であることについては当事者間に争いがないから、法定相続分に従い、安博の右10(一)の逸失利益及び慰謝料合計額三三六二万六七一〇円のうち、原告富美子は二分の一である一六八一万三三五五円を、同教代及び同晃代は、右各四分の一である八四〇万六六七七円をそれぞれ承継取得したこととなり、同教代及び同晃代については右金額が、原告富美子については、右承継取得金額に右10(二)の葬儀費用一〇〇万円を加えた合計一七八一万三三五五円が、本件死亡事故に関して生じた損害額ということとなる。

13  弁護士費用(請求原因6)について

弁論の全趣旨によれば、原告らが本件訴訟進行について原告ら代理人らに任したことが認められるところ、本件交通事故及び本件死亡事故の内容、認容額、審理の経過等に鑑みると、原告らが被告に対して本件につき損害として賠償を求めうる弁護士費用の額は、原告富美子につき一七八万円、同晃代及び同教代につき各八四万円とするのが相当である。

14  遅延損害金の起算点について

本訴において、原告らは、安全配慮義務違反により生じた損害金に関する遅延損害金の起算点を安博の死亡発生の翌日からとしているが、被告が安博に対し負っていた前記注意義務は、労働契約に基づき安博と被告との関係において設定される契約法上の特別な義務というべきであるから、その債務不履行によって生じた損害賠償債務は期限の定めのない債務であり、債務者は債権者から履行の請求を受けたときにはじめて遅滞に陥るものというべきである。

そして、本件において右請求の事実が認められる最初の日は、本件全記録に照らすと本件訴状が被告に送達された日である平成三年一二月一八日となるから、安全配慮義務違反により生じた損害金の起算日は、その翌日である同年一二月一九日ということとなる。

第四 結論

以上によれば、原告らの被告に対する本訴請求は、原告富美子につき金一九五九万三三五五円及び内金一七八一万三三五五円に対する本件訴状送達の日の翌日である平成三年一二月一九日から、内金一七八万円に対する判決言渡しの日である平成七年七月三一日から支払い済みまで各民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、同晃代及び同教代につき各金九二四万六六七七円及び内金八四〇万六六七七円に対する本件訴状送達の日の翌日である平成三年一二月一九日から、内金八四万円に対する判決言渡しの日である平成七年七月三一日から各支払い済みまで各民法所定の年五分の割合による遅延損害金の、それぞれ支払いを求める限度においていずれも理由があるからこれを認容し、その余は理由がないからいずれも棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官寺﨑次郎 裁判官芦髙源 裁判官鵜飼祐充)

別紙 〈省略〉

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